文政九(1826)年、六十七歳で没。
岡本伊予之介の二子。岡本伊予守の甥とも。藤野主水昌幸(専有/専斎)という、宗先の後見をしていた人の孫であるという。蜂谷家に養子に入る。
門人帳が残っており、北は津軽藩主、西は長州藩主、階級は町人から、役者、奥女中、藩主まで、ほぼ日本全土、全階級にわたる。
この香道普及によって、香道における茶方を改める必要が生じ、『常足庵茶湯覚書』を記し、香道における礼作法を取り入れた茶道に改めた。
ここで、志野流における香道と茶道が分かれたと言える。
香道の七事式にあたる、茶事五事式も制定した。
この茶道における弟子に播州赤穂七代藩主 森右兵衛佐源忠賛(森美濃守)がおり、池田家東館七代当主池田仲雅はそこから志野流茶道を知って、魅了され、鳥取地方へ志野流茶道が伝わる契機となった。
なお、名古屋の志野流香道(蜂谷家)では、九代宗先の次は
十代 勝次郎(宗先一子・寛延元(1748)年没)
十一代 豊光(宗先次子・明和元(1764)年没)
十二代 式部(岡本伯耆守の子)
十三代 豊充(岡本安房守一子)
と数え、貞重は十四代と扱う。
参考文献
『志野流の茶道』上下、英 宗幽、人形のはなふさ、1997
『尾張の茶道』熊沢五六,中村昌生,松村静雄編、河原書店、1972
『山陰茶道史考』山野辺慶一、山陰茶道史考刊行会、1968
0コメント