2019.07.21 03:00廿一代 山根宗己 (桂月庵)令和元(2019)年七月一日より宗家を継ぐ。両親がともに茶道を嗜んでいたため、幼少時から茶に囲まれて育つ。大学茶道部で今日庵に出入りしつつ、茶禅一味を叩きこまれ、すっかり茶道にはまる。同じ学ぶなら家元で、と考え、Uターン時に、鳥取が家元の流儀、志野流茶道へ入門、今日に至る。先代の紹介で、現在も地元の寺へ参禅している。
2019.07.20 03:00廿代 今井宗嘉 (松濤庵)昭和十五(1940)年生、令和六(2024)没。平成十六(2004)年から令和元(2019)年まで宗家、その後引退。十八代宗家藤井宗生の弟子。十九代宗家中嶋宗保より皆伝を受け、その後を継ぐ。茶名/庵号は十八代による。藤井家より海に近い処に居住しているから、と十八代が「松濤」と名付けたと云う。茶道を志したきっかけは、米子市での勤務であった。米子市は出雲文化圏に属し、不昧公で著名な松江のように、商家で話をする際、薄茶一服でもてなすのが通常であった。茶道に関する心得がないと話もできないことに気づき、茶道を学ぶようになったという。
2019.07.19 03:00十九代 中嶋宗保 (竹生庵)平成十六(2004)年、八十歳で没。平成十一(1999)年より宗家。十七代藤井宗仙の弟子で、十八代藤井宗生とは兄弟弟子。皆伝は十八代より。気性穏やかな、謙虚なお人柄であり、身体が丈夫ではなかったと伝え聞く。十八代が予想より早く亡くなられていなければ、宗家を引き受けられることもなかったかもしれない。庵号は、邸内に竹が生えているから、と付けられたと聞く。
2019.07.18 03:00十八代 藤井宗生 (松風庵)藤井宗雄。平成十一(1999)年、七十六歳で没。昭和四十四(1969)年から十八代宗家。十七代藤井宗仙の弟子で、婿養子。高校教員。茶道研究家。昭和四十八(1973)年五月二十日、興禅寺で宗家相続の披露茶会をしたとの記録がある(興禅寺は鳥取藩主池田家の菩提寺)。茶道志野流の代表として、東京支部 中島宗節氏、森下久平氏、英宗幽氏、小澤宗実氏、田中宗薫氏が名を連ね、鳥取茶道連合会の各流の方々を含め、総勢三百余名の参列であった。松風会を組織し、稽古のほか、春には花見の野点茶会、秋には錦秋の茶会を行ったり、興禅寺などで坐禅や座学などをしていた。多くの書が残る。兄弟弟子に、英宗幽氏(『志野流の茶道』著)、中島宗節氏(東京支部)など。著書に『志野流茶道』 基礎編、史...
2019.07.17 03:00十七代 藤井宗仙 一葉斎(如月庵)本名昌治、明治十四(1881)年二月一日生、昭和四十三(1968)五月、八十八歳で没。学校教諭の後、銀行員。養父 藤井一藻斎暁湖は十五代鵜殿長の弟子。大正十四(1925)年に志野流十七代を継ぐ。弟子に、十八代藤井宗生のほか、十九代中嶋宗保、中嶋節(雲水斎宗節、横須賀へ移住)、英宗幽(寥々斎、艸央庵)、小沢宗実、松本宗義、木下桂風*など多数。稽古の心得として『伝心録』**なども重視していたという。また、この方も、十六代岡宗匠同様、名古屋の蜂谷家で茶道の伝授が途絶えた旨、確認しに伺ったとのことである。当時の三千家の興隆に危機感を覚え、同じ流祖を抱くならば、名古屋の志野流へ合流し、団体を作るべきではという考えが当初はあった。しかし、因幡で伝授されてきた点前と...
2019.07.16 03:00十六代 岡 (政令) (酔月庵)大正十二年(1923)七月一日、七十一歳で没。警察署警部。絵画にも長じ、根本幽蛾の子 雪蛾に学ぶ。雅号は雪仙。弟子には、十七代藤井宗仙のほか、森下久平、稲垣国蔵など。茶道はもちろん、名古屋蜂谷家(香道家元)へも訪れ、香本の写本などもする。その際、名古屋蜂谷家の茶道における伝授が途絶えた旨を伺う。参考文献『志野流茶道』基礎編、史料編、藤井宗生、志野流松風会、1982-83『志野流の茶道』上下、英 宗幽、人形のはなふさ、1997
2019.07.15 03:00十五代 鵜殿 (長) (和月庵)天保五(1834)年九月生、幼名豊之助。後改長道、嘉永七年(1854)襲世。明治四十年(1907)八月十一日*、七十四歳で没。聰達院殿惠徳長道大居士。鳥取池田藩の家老職の家柄で、六千石。鳥取県再置運動にも、岡崎平内とともに活動。樗溪神社(現鳥取東照宮)の宮司。弟子に、十六代岡政令のほか、十七代藤井宗仙の養父 藤井克己(一藻斎)がいる。俳諧を好み、十四代河田直等との画賛あり。参考文献『志野流茶道』基礎編、史料編、藤井宗生、志野流松風会、1982-83『志野流の茶道』上下、英 宗幽、人形のはなふさ、1997『三百藩家臣人名事典』第5巻、1988*『明治維新人名辞典』によると、八月丗一日没鵜殿長道(とっとりデジタルコレクション)
2019.07.14 03:00十四代 河田 (直) 松月斎明治三十三年(1900)十月十一日、七十八歳で没。元池田家家臣、町奉行。根本幽峨に画を学び、雅号は翠涯。弟子に、十五代鵜殿長のほか、五代目鳥取市長藤岡直蔵など。弟子のひとり、神戸徳から塚田宗瑞が出た。参考文献『志野流茶道』基礎編、史料編、藤井宗生、志野流松風会、1982-83『志野流の茶道』上下、英 宗幽、人形のはなふさ、1997河田直(とっとりデジタルコレクション)
2019.07.13 03:00十三代 中山 山中 月松斎明治九年(1876)十一月五日、六十二歳で没。池田家十四代慶徳の鉄砲組頭二百五十石。俗称中山所兵衛矩縄という。俳号は意斗。元千家日比百助の門人にして、東館八代仲律公を通じ、久保宗範の門人となり、皆伝を受ける。日比百助は、裏千家流を熱心に学んでいた藩士である。弟子に十四代河田直、初代鳥取市長の岡崎平内がいる。参考文献『志野流茶道』基礎編、史料編、藤井宗生、志野流松風会、1982-83『志野流の茶道』上下、英 宗幽、人形のはなふさ、1997『山陰茶道史考』山野辺慶一、山陰茶道史考刊行会、1968「日比家文書に見る江戸時代後期鳥取の裏千家茶道」岡 宏憲、研究紀要(野村美術館) 28号、2019.3
2019.07.12 03:00十二代 久保宗範 松風斎生没年 元治元年(1864)一月八日、六十九歳で没。池田家東館七代当主 仲雅の近習、祐筆と伝える。のち、池田家東館八代当主 仲律(仲雅の次男)の茶頭ともなる。書道芝石(水)流、逸龍の号を持つ。池田仲律(蒼々庵、彩露舘)のほか、西館八代定性(仲雅の四男、のち清直、別名 仲道)も教えた。その他弟子に、十三代中山山中、足羽宗義(鳥取県西伯郡淀江町に伝える)がいる。参考文献『志野流茶道』基礎編、史料編、藤井宗生、志野流松風会、1982-83『志野流の茶道』上下、英 宗幽、人形のはなふさ、1997『山陰茶道史考』山野辺慶一、山陰茶道史考刊行会、1968
2019.07.11 03:00十一代 大谷 春水 (月下庵)生没年 嘉永二年(1849)二月十三日、七十一歳で没。大谷弘。旧名は大谷義(儀)三郎平奉弘。俳諧坊、百花、春水とも号す。元 森美濃守の家臣。木挽町で茶道を教える。その後、池田東館の茶頭となる。辞した後は、知恩院の宮の臣となり、浜松町に居住。大谷月下庵作茶杓が久保宗範ー岡崎平内ー中山山中ー若松一瓶ー森下久平と伝わる。(共筒、書付 久保宗範、自詠歌銘)参考文献『志野流茶道』基礎編、史料編、藤井宗生、志野流松風会、1982-83『志野流の茶道』上下、英 宗幽、人形のはなふさ、1997『山陰茶道史考』山野辺慶一、山陰茶道史考刊行会、1968
2019.07.10 03:00十代 多仲 (貞重) (常足庵)文政九(1826)年、六十七歳で没。岡本伊予之介の二子。岡本伊予守の甥とも。藤野主水昌幸(専有/専斎)という、宗先の後見をしていた人の孫であるという。蜂谷家に養子に入る。門人帳が残っており、北は津軽藩主、西は長州藩主、階級は町人から、役者、奥女中、藩主まで、ほぼ日本全土、全階級にわたる。この香道普及によって、香道における茶方を改める必要が生じ、『常足庵茶湯覚書』を記し、香道における礼作法を取り入れた茶道に改めた。ここで、志野流における香道と茶道が分かれたと言える。香道の七事式にあたる、茶事五事式も制定した。この茶道における弟子に播州赤穂七代藩主 森右兵衛佐源忠賛(森美濃守)がおり、池田家東館七代当主池田仲雅はそこから志野流茶道を知って、魅了され、鳥取地...